1984-04-20 第101回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号
○森田参考人 紹介をいただきました三池炭鉱労働組合長の森田です。 石炭政策確立のために日夜努力されております本委員会の諸先生方に心から敬意を表する次第であります。
○森田参考人 紹介をいただきました三池炭鉱労働組合長の森田です。 石炭政策確立のために日夜努力されております本委員会の諸先生方に心から敬意を表する次第であります。
大体企業組合というものは社長から労働組合長がおまえおまえなんと言って呼びつけられて、組合長は社長、社長と奉る。もう呼び方からして労使対等なんというのはできない。したがって、どうしても企業の壁を破らなければ労使対等はできないというのが労働法の原則なのであります。しかし使用者は企業内組合を喜ぶ。まさにそういう経営者の願望を労働組合法を破るという違法をあえてして実現させた。
自動車産業では、山崎東洋工業社長と高下東洋工業労働組合長から意見を聴取いたしました。 まず、山崎公述人は、自動車産業はオイルショック以来内外の需要低迷という厳しい環境に置かれ、経営悪化を余儀なくされた。広島県における自動車産業は、従業員数、生産高ともに一五%の高い比率を占めており、地域経済への影響大なるを自覚し、鋭意経営の改善、雇用の安定に努力した結果、業況の回復にも一応のめどがついた。
○倉石国務大臣 職場に働く人々というのは非常に大事な方々でありまして、先年吉田総理大臣がイギリスへ行きましたときに、チャーチル総理がパーティーのときに一人の男を連れてきて、この男がわが英国の繁栄の半分の力を入れてくれている人だからよく覚えておいてくれといって労働組合長を紹介したそうでありますが、私は、吉田さんからそれを承って、まことにいいお話しだなあと思いました。
ただ下山田の災害で御存じのように、あの災害現場については現地の労働組合長を含めて再三にわたって指摘をし続けてきたところであります。その結果改善がはかられたのかと申し上げますと、災害の調査結果で御承知のように、あの採掘方式は変更がなかったわけであります。
もちろん私が申しましたことと、労働組合長さんの御意見とは、若干のニュアンスの違いがあるような感じがございますが、本質的にいたしましても、もとよりわれわれは親企業の更生を望んでおります。しかしながら、親企業の更生と並行いたしまして、われわれともどもに企業の立ち直りをはかるということが、私たちのほんとうの希望でございます。
これは日本炭鉱労働組合長の阿部先生であり、道炭労の委員長である大矢先生に救われたそのときにはまだ余裕がありました。しかし、いまその炭労の表彰を受けた組合は、私の労務課長、どうか炭鉱の体質を考えてください。瀕死の重体が、治療と投薬を答申によってきめられ、これを投ずる。気力を持てというのが私は政策だと思う。これがあればやります。胸の中には、二度と繰り返したくない。
私ども一行は、六月二日夜羽田空港を出発、同日博多に一泊し、翌三日早朝山野炭鉱に向かい、現地においてまず災害対策本部長である古屋内閣官房副長官より概略の説明聴取後、原社長、労働組合長、職員組合長よりそれぞれ当時の模様及び本委員会に対する要望を聴取したのであります。 その後、災害の発生した第一立て坑坑口において犠牲者の冥福を祈り、次いで病院に負傷者をたずねお見舞いを申し上げてまいりました。
先ほど来労働組合長の陳述等を聞いてみますと、未払い賃金の肩がわり、支払いの肩がわりもやった、その他いろいろと今日まで努力をされたことを、あなたの前で福島参考人は陳述されたわけです。そうしてみますと、一般の争議の場合に普通の労働組合がやること以上に、福島参考人のお話を聞いてみますと、より一そうの努力、ほかでもやれないような努力をしておる。
しかし、私が運輸大臣になりましてから、国鉄労働組合長並びに国鉄の当局等の間に立ちまして、志免炭鉱その他いろいろな問題のときに、懇談的に話をするような、なるべく話し合いをしていこうということで、最近の統計等を見ましても、だんだんと国鉄従業員は自分の職務に自覚をいたしまして、漸減いたしておるような次第でありまして、今後ともそういうことがないように極力努力していきたいと思うのであります。
やはり分離をして解決をしなければ、現在だれが労働組合長になりましても、おいそれとユニオン・ショップやチェック・オフの問題を廃止することに同意しますという責任者は出ないのです。ところがこの問題が長引いておるのは、非常にむずかしい賃金並びに作業方式の問題がほとんど片づいたのに、それが続いて出ましたところから今日のような状態になっておると私は思う。
それから次に、先般衆議院等におきましての当問題に対する委員会で、二十九年の秋の炭労の期末手当の闘争をめぐりまして、三菱の高島炭鉱の海底貯炭の問題が論議されておるようでありますが、当時私は高島の労働組合長として山元におりましたので、一点この点について私は当時の状況を御参考までにお話し申し上げます。
○山花委員 そこで、お尋ねしたいと思いますが、かりに工場長が労働組合長をやっておって、会社の社長、すなわち経営者と結んだ労働協約というものがございましたならば、おそらくこれは全体の労働者の利益になるような労働協約は結べないと、一応私どもは常識論として想像するのでございますが、こういう労働協約の取扱いはどうなるのでございましょうか。
(同) 今村 國年君 参 考 人 (全国造船労働 組合総連合中央 執行委員) 濱口 榮君 参 考 人 (全日本造船労 働組合中央執行 委員長) 溝口 光治君 参 考 人 (播磨造船労働 組合長
○井本政府委員 先ほど落しましたが、井田清造は、この地方に勢力を持つておりまする、いわゆるやくざ仲間の野田一家の親分でありまして、昭和二十二年以来好間村小田炭鉱消費組合長を勤めていたのでありますが、昭和二十八年九月ごろから箭内光らによつて新設されました生活協同組合が活動いたしまして、加入者も漸次増加し、ことに箭内が労働組合長、好間村村会議員になつたことなどから、自分たちの立場が劣勢になるのを不愉快に
去る四月二十四日朝、元同炭鉱平坑労働組合長であり、現生活協同組合理事長、村会議員、社会党支部長の箭内光は、入坑直前二名の不良の凶刃に倒されたのであります。これのみではありません。昭和二十四年の春、当時の組合長であり、現在も又組合長である遠藤義雄も、或る事件のため山の不良に襲われ、殆んど左眼は失明の状態になつております。無論犯人は逮捕されるに至らず、うやむやのうちに処理され今日に至つております。
また大牟田の三池炭鉱においても、労使間の交捗過程において、警察側が行き過ぎたるやり方を組合側に与え、検束者を出したという話もありますので、警察に関する問題といたしまして、本委員会の所管するところでありますから、その真偽を確かめるために、日本炭鉱労働組合三池炭鉱労働組合長宮川睦男君、日本炭鉱労働組合岩屋炭鉱労働組合長井手定雄君、佐賀県国家地方警察隊長金掘一男君、福岡県国家地方警察隊長長野實君、この四人
吉田内閣が常にその範を求めているアメリカの労働運動においても、かつてタフト・ハートレー法が国会に上程されたとき、アメリカ炭鉱労働組合長ジヨソ・ルイス氏は、近代的な労働と奴隷労働の差異は労働者に争議権があるかないかということだ、これだけであると彼は喝破しておるのであります。
なお又、この間労働組合の幹部がたまたま来ておられたのを懇談会に来てもらつてお聞きしたということでございますが、労働組合、又労働組合長のみならず、或いは又労働組合のそこに居合わせた方に来てもらつて聞くということは、これは一つの方法だろうと思います。